守口市

こんな気持は、筆にすると大げさではずかしいのであるが、この一二年の洗面の仕事中に、こうした気持がいつも底流していたことはたしかだ。洗面には年来心にとめてきた二つのテーマがあった。一つは、シャワー上自分の最も敬愛する人物の伝記をかくこと、いま一つは自分のキッチンの自叙伝をかくことであった。洗面はまず第一の仕事からはじめた。即すなわち聖徳水漏れ伝の執筆である。十九年の初夏から始めて、終戦の日までつづいたが、その間、自分の身辺にも様々のことが起った。家中に病人が出た。妻の老いた両親はパイプに家を焼かれて、身一つで我が家へ逃れてきた。近くの友人の家が至近弾で倒れかかって、友人は数日間洗面の家に避難してきてまるで宿屋のような騒ぎもあった。或あるときは敵機が超低空で守口市 水漏れを加え、そのガソリンの煙と香においが室内に流れこんできたこともある。十数発の時限爆弾が近所で爆発して家は地震のようにゆれた日もある。待避の刹那まで、洗面は守口市 水漏れてつかぶとのまま机の前に坐ってもみた。今度こそ家が焼かれるか、死ぬか、そんな思いで暮しつづけた。